書きたいと思った時
身体のどこからかそれが溢れ出して、目の前の紙や画面に流れ込んでいく時と
その思いがグルグルと身体の中で渦巻くだけで、全く出てきてくれない時がある。
前者は良い。するすると体から抜け出た思いや世界が形を作り目の前に現れてくる様は本当に気分が良い。
スッキリもするし、達成感もある。また、こんな風に書いてみたいといいサイクルが生まれたりもする。
最高の状態だ。
問題は後者。
ぼんやりとした何かが身体の中を巡っているのはなんだか気持ち悪い。上手いこと形にしてあげたいが中々掴めなくてなんだか申し訳ないような気もしてくる。
私の中にいるそれらは基本、外に出たがっている。
形を得て、生きたがっているのだ。
だから私も然るべき形を見つけてあげたいと思う。
けれども見つからないことがあるのだ。
どんなに悩んでも、どんなに苦しんでも、外には出せなかったもの達も沢山いる。
それはきっと私がまだまだ未熟である証であろう。
私の中にそれらを表現する明確な形がないからそれらを形にできないのだ。
知らない感情。知らない表現。知らない世界。
身体の中に巡るだけの何かが駆け巡るとき。
私はたいへん苦しむ。なにせどんなに考えても想像してもそれらは形をなせないのだから。
少しずつ薄れて消えてしまうそれらを見送る度に、罪悪感や悲しみを覚える。
けれども同時にひどく高揚感を味わうのだ。
世界は広い。私にはまだ知らない世界がある。
それは主人公が広大な大地を旅する決意をしたような心地に似ている。
俺たちの旅はまだこれからだ。
そんな心地だ。
今はまだ難しいけれど、いつか本当に旅をしてみたい
色んなところに行ってたくさんのものを見て感じて
そうして思うままに筆をとる。
そんな生活をしてみたい。
そうしたらいつか、今まで消えてしまったモヤモヤ達にも、形を与えることが出来るかな?
できたらいいな。
きっと、いつか、絶対。