小さな頃。
通学路にいつもたっているお姉さんがいた。
お姉さんはいつも道脇にある椿の木を見ていた。
寒くなってきて、赤い花を咲かせる頃になるとお姉さんはそれは嬉しそうに微笑んでいたのをよく覚えている。
そして、花が落ちる頃になると白くて細いその腕を持ち上げて綺麗な手のひらに優しく椿を受け止めるのだ。
愛おしそうに椿へとキスをして、近くの花壇の土の上へとそっと運ぶお姉さんが何故そんなことをするのか不思議でたまらなかった。
ある時、いつものように遠巻きにその光景を眺めているとお姉さんがこちらを振り返る。
「ねぇ、手伝ってくれない?」
突如かけられたその声に私は数秒固まってしまう。
「あ、えと・・・。」
言葉にならない音が口でもごもごしているのを見てお姉さんは困ったように微笑む。
「急に声かけてごめんね。あなたいつも私のことを見てるから興味あるのかなって思ってたの。・・・ほら、見て。私だけじゃ手が足りないと思わない?」
そう言って両手を広げたお姉さんの足元には椿の花が1つ2つと落ちている。
「ね?お願い。」
「・・・・・・。」
落ちている椿とお姉さん。それからお姉さんの後ろで咲き誇る椿を見つめて私は持っていた荷物を道の端へと置いた。
それから落ちてしまっている椿の花を拾い上げ、花壇の土の上へとのせる。
振り返るとお姉さんは嬉しそうに「ありがとう」と笑った。
「なんでこんなことしてるの?」
いつものように隣で椿を受け止めているお姉さんに聞いてみる。
「こんな硬いところに落ちたら痛いし、それに帰れないでしょう?」
よくわからない回答に私がコテリと首を傾げると、お姉さんさんは少し考えてから説明をする。
「・・・・・・行ってきますってお家を出たらただいまってお家に帰るでしょう?この子達のお家はここなの。そっちに落ちてしまったら帰ってこられないわ。この子達は歩けないもの。」
「ふーん。」
わかったような。分からないような。
生返事を返して私は見上げる。
濃い緑の中にポツポツと浮かぶ真っ赤な花を。
それがするりとお姉さんの手の中に、吸い込まれるように落ちていくのを。
「わたし、考えてしまうの。もし自分がそうだったらって。・・・みんな帰るところがあるの。この世界に生きてるものにはみんなあるのよ。けれどごくたまにこの子達みたいに帰れない子達がいるの。迷子になってしまう。・・・きっと寂しくて、恐ろしくて耐えられない。」
語るお姉さんの瞳がスっと私をうつした。
「だから手をのばすの。痛くないように迷わないように。ちゃんと、かえれるように。・・・・・・わたしも、そうして導いてもらえるように。」
真っ黒な力強い瞳が私を映している。
希うような。祈るような。
強い強い想いを込めて。
真っ直ぐとこちらを見つめるその瞳に。
「あ、私。あの、もう行くね!」
何だかとてもいたたまれなくて気まずくて、よく分からないけれど早くここから離れたかった。
慌てて荷物を掴んだその時にお姉さんが「ねぇ。」と呼びかけてくる。
恐る恐る振り返るとお姉さんは困ったように微笑みながら
「お願い。今日のこと、忘れないで。」
そう言った。
「忘れないよ!!私、絶対に忘れない!!」
考えるよりも先に言葉が飛び出た。
そうしなければいけないと思った。
それは、お姉さんがあまりにも悲しそうだったからかもしれないし
強いあの瞳を忘れられるわけが無いと思ったからかもしれないし
強烈な赤が、ぽたりと落ちていく様が可哀想だったからかもしれない
あるいは、その全部か。
理由はよく分からないけれどそれでも、
「ありがとう。」
とお姉さんが泣きそうな顔で笑ったから、きっと正しかったんだと思う。
それから寒い季節になって椿を見かける度にお姉さんを思い出す。
椿を幸せそうに見つめて、白く細い腕を伸ばして、
綺麗な手のひらで優しく受け止めるお姉さんを。
懐かしい記憶を思い出しながら、道路脇に落ちている椿をそっと拾い上げ、柔らかな土の上へそっと置いた。